なか卯でビール

なか卯ではビールを注文できるので、今日飲んでしまった。

小さいうどんを一緒に頼むとちょうどいい感じだった。

 

なか卯で飲むシチュエーション、自分でやってみないと想像がつかない。

いい年したサラリーマンが安いチェーン店で連れだって飲んでたらちょっと味気ないというか、変だ、と思う。

僕はひとりで飲んだんだけど、それでも贅沢としては陳腐な感じがする。

 

作家志望ごころ

今となっては恥ずかしさすらなくなってしまったのだが、作家(小説家)になりたかった時期がある。

中学から大学までそうだったと思う。

ネガティブな理由としては会社に勤めたくなかったからで、会社の中で何が起きているのか知らないのでとても怖かったからだ。

ポジティブな理由は、才能があると思ってたからです(告白)

言葉で説明できないだけで、純文学の良さとかもちゃんとわかってたし、その証拠に現代文の試験の点数はよかった。(証拠とは)

……

厳密に思い出してみると、きっかけはライトノベルだった。というのは、巻末に原稿募集の広告が入っているから。今のラノベも同様なんだろうか。

文芸雑誌とかも知らなかったので、そのような広告を見てはじめて、「このようにして職を得るのか!」と思い込んでしまったのですね。可愛いげがある。

それで高校は文芸部に入った。

(正確には「文学部」という名前だったのだ。『僕はかぐや姫』に出てくる男子校か?)

ちゃんと冊子を作る部活だったので、書くものは書いていた。というか当時書いたものはまだ「なろう」に置いてあるので読まないでください。

 

だけど、どこの新人賞にも応募することはなかった。

ラノベの新人賞って確か原稿用紙300枚とか必要で、そんな量は書けないのである。しかも1回応募したくらいでどうにかなるものではない。なんども応募して1次審査をとおっただの通らないだのを繰り返して、やっと入選したりするものだ。だから、とにかくたくさん書かないといけない。

それが僕には無理だった。「応募できる量を書く」ということにすらたどり着かなかったので、はたからみるととても作家志望には見えなかっただろう。今の僕にも見えない。

 

じゃあ「量」じゃなくて「質」はどうなの、という話だが、

「純文学のよさもわかってた」と前述したけど、良さがわかるのは僕だけじゃなく他の人もそうなのですごいことではない。音楽でいうとカノン進行の曲を「良い」といっても「それは大体の人がそう思うよ」と言われるだけだ。(音楽のことなにも知らないから、適当)

 

もう最近では空想の話を書くことは全くなくなってしまった。なので、本当は作家になりたいわけではなかったんだと思う。

作家になりたいやつが書かずにいられるわけないと思うからだ。

 

昔を思い出してウアアになるやつ

人間の価値観は一定ではない。

気分はなおさら変動するだろう。

なので、自分の過去の発言を思い出したりTwitterから発掘したりして頭を抱えてしまう。実際には頭を抱えるのではなくて奥歯を噛んだり手の甲をつねったりして、気分を転換しようと試みる。

だいたいは無知によるもの、他人の気持ちを慮れずに酷いことを言ってしまったもの、等だから、いま後悔しているのは成長・矯正ができてきた証拠なのかもしれない。

だけど「今は反省できるようになったんだから」なんて言ってしまう事にも罪の意識をもってしまう。

誰かに怒られたわけでもないのだか。

 

Twitterを見ていて思うこと

あらゆるパラメータで勝てるところのない相手というのは当然ながら大勢いる。

規格が揃っていれば「上位互換」という便利な言葉が使えるけれど、残念ながら次元が違うため比較は出来ない。

 

この戦車道っていうのは本当にあるの?

物語る手法として、「これは私のために書かれたものだ……」と自覚(錯覚)させるのはセオリーのようだ。
身に覚えのある人なら、作品名など挙げずともわかるだろう。
例えば単に主人公の境遇が自分に似ているとか、そんな表面的な事には限らない。
作者が何を大事に、勘所として書いているか。
その物語を書くために絶対に知っていなければならず、
しかし一般には気がつかれていない重大な真実は何か。
これらが自分にしかわからない方法で伝達されたと確信できるとき、ひとは物語を自分のものだと思ってしまう。
もちろんそれは錯覚である。
そのようにして「物語に嬉しくな」っちゃってからでも上手く人生をこなせるやつとそうでないやつがいて、僕の場合は後者だった。ごっこ遊びが好きなのに、ごっこ遊びが不得意なのだ。
有り体にいえば、「物語と現実の区別がつかない」

社会人になった

職種はプログラマ。趣味でも学業でもコードを書いたことはほとんどなかったけど、ただなんとなく適当に就職活動をして気がついたらなっていた。人手不足の業界だから、こんなもんなんだろうか。孫請けなんだかひ孫なんだかで客先で作業をしていて、これ自体は非常によくあるケースらしい。「客先常駐なんてまともな働き方じゃねーー」って感じの意見はよく見られる。でもこれが想像してたより楽なんですよね。

そう、働きはじめてわかったが、社会というのはぜんぜん辛くない。社会に出るのが怖くて勉強にも手がつかないほど不安を抱いていたのに、いざ働き始めるとみんな優しいのであった。
不思議だ。
怒られるとか詰められるとかサビ残強制とか忘年会で一発芸とかとかに震えるほど身構えていたのは何だったんだろう?
就活で洗脳されてバリバリ社畜になって、出兵するみたいに入社していくのが大卒の末路なんじゃあなかったのか。
鬱みたいになって投げやりに二回も留年した時間を返してほしいくらいだ。留年は自己責任だけど、その分の学費を稼ぐためにしたアルバイトなんかより正社員の仕事のほうがずっと楽で、馬鹿みたいであった。悲しい。

まあ、やめられると困るから気を使っているとか、あるいは周りの水準が僕よりさらに低いとか、要因として考えられるものはあるけど。もしくは単にほっとかれているだけとか。それはそれでいいんですけどね。(これが見つかったら今度こそ怒られるのでは)

社会人になるのが漠然と怖いと思ってる人は一度会社に入ってみると良いです。適応障害起こすほど合わないっていうのはまれなケースだと思う(根拠ないけど)。ネットで反労働的なこと言ってる人や自虐的社畜芸で盛り上がっている人等はいますが、彼ら、必ずしもあなたの味方とは限らないですよ。僕は彼らに社会は怖いと刷り込まれて人生の貴重な時間盗まれたと思ってますしね(これは被害妄想、経験にIFはないので)。

そんな感じです。